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いしかわ大百科

2008年度

 いしかわ大百科

11月23日(日)あさ7:30~8:00
シリーズ・ふるさと伝説の舞台④
『八百比丘尼 能登行脚』

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不老長寿の尼・八百比丘尼の足跡を追う
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全国に出没 時間と空間を超えた尼さん

◆◆◆ふるさとの歴史ロマンを探る30分◆◆◆
伝説の舞台を巡るシリーズは今回が最終回。
人魚の肉を食べて800歳まで生きたという尼の物語です。

◎時空を超えた尼
人魚の肉で不老長寿を得た八百比丘尼(はっぴゃくびくに)は、
全国を遊行したことで、各地に伝説が残っていますが、
一般的には若狭国(今話題の?小浜市)の出身で、肌が白く、
女性の宗教者として、安産の祈祷やおまじない、
またその年の吉凶を占うなどしていたと伝えられています。

出身地といわれる小浜市の曹洞宗・空印寺(くういんじ)では、
もっと長生き出来たはずの命を民衆に分け与えたということで、
「八百姫(やおひめ)菩薩」として厚く信仰されています。

この八百比丘尼伝説は、もともと高橋長者という人物が友人に招待され、
そこで出された人魚の肉(あくまでもご馳走)に口をつけず
家に持ち帰ったことから始まります。

捨てようと思っていたはずが、18になる娘が食べてしまい
いつまで経っても老いない不思議な力を得たというわけです。

後に結婚したこの娘は、夫や子どもが先に老いて死んでいき、
何度も再婚を繰り返しますが、ついには800歳になったため、
恐ろしくなって剃髪し、尼になったといわれています。

空印寺には最期を迎えたという「入定(にゅうじょう)の洞窟」があり、
生きていくことで生じた悲しみを抑えたかったという真情が
手に取るように分かります。

みなさんんは800歳まで生きられると聞いてどう思いますか?
若い姿のままならいろんなことにチャレンジできますが、
家族や友人が次々と先に亡くなっていくのは耐えられないような・・・

◎八百比丘尼の足跡を辿る
さて、小浜市から始まる伝説の舞台は、いよいよ能登に上陸。
現在の志賀町富来生神(とぎうるかみ)あたりが
最初に訪れた場所と言われています。

ここの生神神社には「お産の井戸」があり、かつて源義経も
「北国落ち」の際に難産だった妻を気遣って祈願したと言われています。
八百比丘尼も安産の祈祷などをしていたと見られるため、
この生神という地区が伝説のナゾをひもとく鍵になりそうです。

実はここには八百比丘尼が一晩宿をとったという「ほこら」があると
伝えられていて、地元の方に案内していただきました。

これがなんと、道路の拡張工事によって旧道が削られ、
高さ10mほどの斜面の上に行かないと見ることができない!
佐野アナとスタッフは普段着のまま、よじ登ることに・・・

竹やぶの中をくぐり抜けると、そこに怪しい穴があります。
中を覗いてみると…石仏のようなものが安置されています。
左手には占いや祈祷に使う、珠のようなものを持っています。
何だか、ミステリー探訪しているような気分???

地元の人もこの石仏の存在は知らなかったそうですが、
近くの道路わきに移されたお地蔵様とともに、
穴神様と呼んで親しんでいたそうです。

一方、輪島市の縄又地区では、八百比丘尼がここの出身と言い伝えられ、
その屋敷跡があります。ちかくには権現様のほこらがあったりして、
昔から信仰心の強いところなんだということをうかがわせます。

このほか、八百比丘尼は椿が大好きで、
行く先々で椿やその他の木を植えていったとも言われていて、
珠洲市・高照寺の「倒(さか)さスギ」「徳保の千本椿」など、
ゆかりの木や伝説の舞台となった場所がたくさんあります。

泉鏡花記念館の青山克彌館長は、
「祈祷やおまじないだけではなく、海を越えて能登に情報をもたらしたとも
 考えられるので、客人(まろうど)として歓迎されたのではないか」
と解説しています。

さて、800年も生きたという尼の正体やいかに???

ゆかりの寺・空印寺を訪ねる
空印寺では八百姫菩薩と呼ばれる
ご住職・岸本孝道さんに聞く
最期を迎えた「入定の洞窟」
義経もあやかった?お産の井戸
穴神様のほこらを発見!
輪島では能登出身の伝承が・・
椿の原生林が広がる(珠洲市)
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八百比丘尼は何を想い生きてきた?
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「八百比丘尼集団説」の真相は?

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【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀

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