4月19日(日)7:30~8:00
ふるさと探訪シリーズ・わが街こころの風景①
『最先端から生まれた文化 ~奥能登・珠洲市~』
◆◆◆ふるさとの遺伝子を探る30分◆◆◆
新年度になりました。今回からは石川県の10市9町を順番に、
その市町それぞれの歴史や文化、風土を紹介していきます。
このシリーズは3年に渡って放送という大がかりな企画ですが、
ぜひ、県内19市町の特色を見てみてください。
◎幻想的な日の出に感動
シリーズ1回目は石川県の先端、珠洲市です。
この企画があがった段階から、ぜひ1回目に取り上げたいと思っていました。
それは、海から昇る朝日を撮影したかったからです。
珠洲市の先端、狼煙地区の禄剛崎(ろっこうざき)は、
海から朝日が昇り、海に夕陽が沈むのを見られる県内唯一の場所です。
本当に見られるのか・・・実際に見た人はいるのか・・・
そんな興味をそそられて、3月の終りに一人カメラを抱えて行って来ました。
自宅を夜中の2時に出て、禄剛崎の駐車場に着いたのが午前5時。
空も薄っすらと明るくなり始めています。急げ、急げ!
日の出の予定時刻は5時40分ごろ。
春なのに使い捨てカイロで指先を温め、いざ、その瞬間を待っていると・・・
海から顔を出した太陽が、崖っぷちから伸びる木の枝にかぶってます!
慌ててカメラ位置を変える筆者・・・でも、無事に撮影できました。
日本海に真っ赤な太陽の日差しがこぼれ、
美しい白亜の灯台・禄剛埼灯台が、幻想的に染まっています。
珠洲市はこの禄剛崎をはじめ、
外浦側では「日本の夕陽100選」の仁江海岸(にえかいがん)の千畳敷、
内浦側では見附島(別名・軍艦島)など、素晴らしい景色が見られます。
◎自然から生まれた文化
さて、仁江海岸の近くでは「揚浜式」による塩造りが行われています。
起源は鎌倉時代と言われていますが、最も盛んだったのが藩政時代。
米の代わりに塩を納めさせ、食料を提供した
加賀藩の「塩手前制度」によって一気に広まったという歴史があります。
この制度は3代・前田利常から5代・綱紀まで続き、
それ以後も珠洲を中心に塩造りが受け継がれてきました。
これは①海流がぶつかり合う珠洲の海がきれいなこと、
②塩分濃度が高い、③近くに山があって薪が豊富に調達できた、
④大きな川がない・・・といった理由があり、
珠洲の塩造りは専売制になってからも認められていたのです。
一方、灰色がかった黒い焼き物、珠洲焼。
こちらは中世に一旦姿を消しますが、32年前に復興され、
どっしりとしたそぼくな風合いを見せています。
珠洲焼作りに携わる小西栄一さんは、
「珠洲の豊かな自然が無意識に目に焼きついている。
それが珠洲焼にも現れている」と語ってくれました。
愛知県から移り住んだ清水武徳さんも、
「珠洲焼には能登の風土が入っている」と感じているだけではなく、
地域の人たちの助け合いなど、この地に来て良かったと話します。
◎こころの風景はそこかしこにある
近年、「限界集落」という言葉にもあるように、
過疎と高齢化に悩む珠洲市も人事ではありません。
しかし、廃校になった小学校を活用して開校した
能登半島里山里海自然学校では、農林水産業を軸とした
地域の発展を目指しながら、里山の保全に力を入れています。
校内では元の主婦の方たちが毎週土曜日に、
地元の食材を使った郷土料理・「へんざいもん」を提供しています。
「へんざいもん」とは、「その辺りで採れた物」という意味で、
まさに自然の恵みです。
先人たちが絶え間なく受け継いできた里山・里海の宝物。
森は山菜やキノコを生み出し、塩造りや珠洲焼を手がける際の
薪といった燃料があふれているなど、人と関わっています。
これこそが珠洲の人たちの「こころの風景」かも知れませんね。
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【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀