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いしかわ大百科

2009年度

 いしかわ大百科

8月23日(日)7:30~8:00
ふるさと探訪シリーズ・わが街こころの風景⑦
『手取川と生きる ~川北町~』

写真
田園風景が広がる川北町をめぐる
写真
夜空を焦がす大かがり火の炎

◆◆◆ふるさとの遺伝子を探る30分◆◆◆
県内19市町のこころに残る風景から、
その歴史や風土を探るシリーズも、今回で一区切りです。
まだ7市町しか放送していませんが、このシリーズは
3年かけて完結する予定ですので、長い目で見てください。

さて、1年目のラストを飾るのは「川北町」です。
川北町といえば、街の60%が田んぼに囲まれた、
白山と手取川の恩恵をたっぷりと受ける豊かなところですよね。

30年以上、米づくりに携わる北次良造さん(北次農場)は、
手取川ダムや七ヶ用水による安定した水の供給のおかげと話します。
火力を使わない、涼しい風で4日間かけて乾燥させることで、
冷めてもおいしい、こだわりの米を作ってきました。

定番の塩むすびをいただく佐野アナ。
そのおいしさに目がキラキラしていました。
撮影後、スタッフもいただいたのですが、
かなりの量をたいらげてしまって…それだけおいしかったということで、
北次さんご家族に感謝、感謝です。

◎昭和9年大洪水の記憶
こうした恵みをもたらしてくれる手取川ですが、
かつては「暴れ川」として恐れられていました。
江戸時代に整備されるまでは、今の流れよりももっと北側を流れ、
度々、氾濫を起こしてはコースを変えていました。

沿岸の人たちにとっては、まさに手取川との闘いが続いたわけです。
その中でも、決して忘れてはいけないのが、昭和9年の大洪水です。

当時の未曾有の災害は死者・行方不明者112人を出すほどで、
このうち23人の尊い命を失った橘地区を訪ね、
体験者の方から生々しい、貴重なお話をおうかがいすることができました。

「おばあさんが屋根にまたがり、そのまま流されたが、
 数時間後に帰ってきた」
という執念の生還や、
「自宅の柿の木が堤防のようになって難を逃れ、
 その柿の木の子孫を大切に守っている」
という話など、
今も昭和9年の出来事が深く心に刻まれていることを実感させます。

橘少彦名神社の境内に建てられた水害記念碑
当時の洪水で流されてきた岩をわざわざ運んであしらったもの。
復興にかけた人たちの精神力と地域の絆
今も大切に受け継がれているようでした。

◎町民がひとつになる日
毎年8月最初の土曜日は「手取の火まつり」が開催されます。
ことしで24回目。当日は朝から雨で開催が危ぶまれましたが、
午後には青空も見えててきました。

火まつりの目玉といえば、高さ45mの大かがり火
この巨大な塔を目指して、各地区の人たちが松明を掲げ、
太鼓を鳴らしながら練り歩きます。

この松明は本来、虫送りの意味があります。
米づくりを生業とする北次さんは、区長として参加。
「これを機に病気や虫がいなくなって豊作になればいい」
願いを込めて歩きます。

そして各地区の代表が巨大なかがり火に点火すると
まつりのボルテージは最高潮!
赤々と燃え上がる炎が空を焦がしていきます。

打ち上げ花火と見物客の歓声。
川北町の1年で一番暑い夏の夜です。

今回はこのほか、丈夫で長持ちする雁皮紙(がんぴし)で知られる
加藤和紙工房では、子どもたちが紙漉きを体験。
200年以上の歴史を持つ和紙づくりのこだわりと、
佐野アナが和紙で作った洋服の試着に挑戦します。

また、川北町とその周辺の地域に
数多く点在する「○○島」の地名の謎など、
手取川との深い関わり合いを探っていきます。

こだわりの米を手がける北次さん
筆者も3個たいらげた「塩むすび」
手取川のルーツを探る (能美市立博物館にて)
昭和9年を振り返る橘地区の皆さん
災害の凄さを物語る水害記念碑
高さ45mの大かがり火
虫送りの松明を持って練り歩く町民
子どもに紙漉きを指導する加藤さん
写真
「○○島」の謎を探れ!
写真
コスプレではありません・・・和紙の洋服です

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【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀

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