9月20日(日)7:30~8:00
シリーズ・今に残る名作①
『大衆に愛された文人 ~小松砂丘~』
◆◆◆ふるさとの文学に親しむ30分◆◆◆
今回からは、小説や随筆などの名作の舞台となった場所や、
今も文芸が広く浸透している地域を訪ね、
名作を生んだその土地特有の風土、今に伝わる貴重な資料や
地元の愛好者たちを通じて、ふるさとの魅力を再認識します。
◎金沢最後の文人
金沢市の繁華街、香林坊に句碑が建っています。
「明暗を 香林坊の 柳かな」
作者は俳人・小松砂丘(明治29~昭和50)。
石川県俳文学協会の初代会長を務めただけではなく、
独特のタッチで描く画人としても才能を発揮した人物です。
酒豪ぶりも有名で、飲んだお店に自分の作品を残していくなど、
金沢の街を歩けば砂丘の画にぶつかると言っても過言ではないほど、
たくさんの作品を生み出しました。
生涯で世に送り出した作品は40万点とも50万点とも言われたそうです。
しかし、肩肘を張らないその作風は、大いに大衆に愛されました。
みなさんの身の回りにも、ひょっとしたら砂丘の作品があるかも?
ということで金沢の街を訪ねる佐野アナ。
まずは古美術商に入ってみると…出るわ、出るわ。
砂丘の愛らしい画がずらりと並んでいます。
興味深い作品をいくつか紹介すると…
加賀藩に招かれ九谷焼の再生に尽力した青木木米の茶碗。
これを砂丘の手にかかると、ふっくらとした魚に変身しました。
大きな看板に書かれた中宮温泉の鳥瞰図。
裏を見ると…「まからんや」の文字。
これは別のお店の看板の裏側を利用して手がけたものでした。
◎なぜ書き続けた…?
菓子店を営む守山さんは、俳画を通じて砂丘を囲む会に参加。
その際、直接お願いして書いてもらったというのが、お菓子の掛紙。
「菓子屋をやってるから一つ書いて」と頼むと
快く応じてくれたそうで、当時の金沢駅の様子を描きました。
今では風景もすっかり変わってしまいましたが、
ご主人は砂丘の画によって、金沢の懐かしい風景を守っているのです。
一方、晩年には入院先でも筆を置くことはなく、
病室が400あるからと、その部屋の数だけ書いたそうです。
医者には止められながらも、なぜそこまで書き続けたのでしょうか。
砂丘の三女・森岡迪子(みちこ)さんは、
「書きたいと思ったら、折詰のフタだろうが、チラシの裏だろうが、
お構いナシに書いていた」と貴重なお話を聞かせてくれました。
砂丘は本気で「金沢のすべての家に自分の画を飾る」と
常々語っていたそうで、そのくらい自分の手がける画で
1人でも多くの人たちを和ませたいと考えていたのでしょうか。
結局その夢は実現しませんでしたが、
今も街のそこかしこで見ることのできる砂丘の画は、
愛らしく、今も見る人の心を温めてくれています。
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【リポーター】平見夕紀