9月19日(日)7:30~8:00
ふるさと探訪シリーズ・わが街こころの風景⑧
『じょんからの里 ~野々市町~』
◆◆◆ふるさとの遺伝子を探る30分◆◆◆
わが街こころの風景のシリーズ2も最終回です。
今回の野々市町で昨年度放送分と合わせると、
県内19市町のうち13市町を網羅したことになります。
◎富樫一族からの歴史
三味線や笛の囃子に合わせ、老若男女が列を作る…
野々市町に夏の盛りを知らせる盆踊り「野々市じょんから」の風景です。
♪未熟ながらも拍手ととりて うたいまするは富樫の略史~
歌詞の中に出てくる「富樫」とは、
室町幕府で初めてかがの国の守護を務めた富樫一族のことです。
白山大道(はくさんおおみち)と北陸道(ほくろくどう)が交わる
要所だった野々市に守護所を置き、以降、加賀の国は
野々市を中心として富樫一族が治めることとなります。
現在、町から市へと変わるために人口5万人を目指している野々市町。
その「野々市」の町名由来となった布市(ぬのいち)神社は、
富樫郷住吉神社など3つの神社が合祀したものです。
神社に掲げられた額を見ると、鉈のほかに巻物の彫刻が飾られています。
富樫で巻物といえば…そう、かの有名な歌舞伎「勧進帳」ですね。
義経主従が安宅の関を通過する際、看守を務めていたのが富樫です。
今も「じょんから祭り」の皮切りに「富樫祭」が行われ、
富樫一族の徳を偲ばれています。
その際、奉納されるのが神楽ではなく、「じょんから踊り」なのです。
拝殿で盆踊りを舞うのはなかなか珍しい光景ですが、
冒頭にあるように富樫を讃えた歌詞が盛り込まれ、
「富樫略史音頭」という正式な題名がついているのです。
◎じょんからへの思い
「じょんから踊り」の期限は平安時代中期までさかのぼり、
始めは神社の祭礼で行われた「御贄(みにえ)踊り」が
転じたものと伝えられています。
「富樫略史音頭」が作られたのは大正時代末から昭和初期にかけて。
明治時代、盆踊りは若い男女の逢引の場になると禁止されていました。
それに反発した街の青年団と郷土史家・木村素堂が、
ふるさとの名士である富樫を歌詞に盛り込むことで、
どこで歌っても恥ずかしくない、これは色歌ではないとして、
「じょんから」を復活させたのです。
現在、野々市町では野々市じょんから節保存会の指導で、
小中学生による野々市じょんからKIDSが結成され、
週に1度、三味線や太鼓、笛の練習に励んでいます。
保存会の久保さんは、
「腕前はまだまだだけど頼もしい」と目を細めます。
はるか昔から野々市の人々に愛されてきたじょんから。
富樫氏が野々市に残した歴史と文化が「野々市じょんから」という
盆踊りに形を変え、今も連綿と愛され続けています。
いしかわ大百科
【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀