5月12日(日)7:00~7:30
シリーズ・近代の石川を支えた偉人たち②
『加賀のからくり師 ~大野弁吉~』
◆◆◆ふるさとの遺伝子を探る30分◆◆◆
シリーズ2回目は彫刻やからくりなどの細かな細工に卓越した大野弁吉。
彼の存在が明治の石川を支えた!?
◎最高峰のしかけ
古くから北前船の往来で隆盛を極めた港町、金沢市大野。
この地に移り住み、ものづくりの技術でその名を遺した人物がいました。
「加賀の平賀源内」とも称された、からくり師・大野弁吉です。
湯呑を置くと勝手に動き出し、客が湯呑を受け取ると止まる。
飲んで湯呑を置くと、今度はUターンして主人の元に帰る。
ゼンマイなどを駆使して作られた「茶運び人形」です。
こうした数々のからくり人形のほか、
竹をはじめとする木材や貝殻、象牙など
多種多様な材料で作った工芸品のデザイン性や精密さは、
今を生きる私たちをもうならせます。
また時計やライター、ランプにピストルといった
当時の科学技術の最先端をいく物まで作ったという弁吉。
特にカメラの製作は日本で初めて、
更には世界でも初めてだったのではないか…
という研究報告もされています。
◎加賀藩のエンジニア
近年の研究では弁吉の新たな側面が浮彫になりました。
それは「科学者」という顔…加賀藩が設置した
洋式兵学校・壮猶館(そうゆうかん)の助手としても
その才能をいかんなく発揮していたのです。
この兵学校では、アドレナリンの発見で知られる高峰譲吉の父や
砲術方の佐野鼎といった、加賀藩の頭脳ともいえるメンバーが
教鞭をふるっていました。
弁吉はからくりなどの手腕を買われて、エンジニアとして
科学技術の基礎を教え込んでいったとみられています。
後に弁吉に学んだ弟子たちは近代の科学技術の発展に寄与し、
石川の礎を築いたといっても過言ではありません。
いまの石川に受け継がれた
弁吉のものづくりの精神とは何だったのでしょうか。
いしかわ大百科
【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀