6月2日(日)7:00~7:30
シリーズ・近代の石川を支えた偉人たち③
『いのちの水をつなぐ ~枝権兵衛~』
◆◆◆ふるさとの遺伝子を探る30分◆◆◆
偉人たちの功績から、今のふるさとを見つめ直すシリーズ第3弾。
今回は霊峰からの恵みを活かした枝権兵衛にスポットを当てます。
◎いのちの水
5月に入り、手取川扇状地の田んぼにはたっぷりの水が注がれて、
田植え作業がピークを迎えます。霊峰白山がもたらす命の水です。
この恵みを有効に使えるよう、私財を投げ打ってまで尽力したのが
枝権兵衛(1809~1880、現在の白山市坂尻町生まれ)です。
当時、権兵衛は手取川右岸側にある7つの用水のうち、
一番山側の富樫用水の世話役をしていました。
この用水はもともと「暴れ川」と呼ばれた手取川が流れを変えたルートを
活用したもので、手取川ダムができるまでは、
雨による増水で取入口が破壊されたり、
日照りが続くと川の水が無くなってしまうなど、大変、不便なものでした。
時には激しい水の利権争いも起きてしまい、
その姿を見かねた権兵衛は阿久濤ヶ淵(あくどがふち)から岩をくりぬいて、
300mものトンネルを掘って水を取り入れる計画を立てます。
当時は強い反対を受けますが、加賀藩の小山良左衛門の協力を得て
1865年(慶応元)に着工。5年の歳月をかけて、ついに完成させるのです。
これが後の七ヶ用水(総延長・約142km)の礎となりました。
権兵衛が貫通させた隧道は、明治の大改修で大水門が完成した際、
予備の取入口となり、昭和24年まで使われました。
こうして今、田んぼに携わる人たちは、
当たり前のように水を使うことができるのです。
◎白山からのお宝
農業に従事する人たちは白山からの水の恵みと先人たちの苦労に
いつも感謝の気持ちを忘れません。
日本海側で雪が降る地形がもたらす恵みの水。
そんなゼイタクな環境をありがたく思いながら米づくりに励んでいます。
一方、この水は発電にも使われています。
農業用水を利用した発電所としては県内第1号となる
宮竹用水の上郷発電所は、1.6km上流から自然の勾配を利用して
水を取り入れ、1200世帯分の電力を作り出しています。
また七ヶ用水発電所では用水の幅を狭めて落差を作り、
同じく1100世帯分を発電しています。
(現在、どちらも農業関連施設の電気をまかない、農家に還元しています)
この農業用水での発電の極め付けとなっているのが、
マイクロ水力発電と呼ばれるもの。
用水の水路の1mほどの段差を利用して、小さな機械で発電するのです。
こうした水路の段差は七ヶ用水管内で約600か所もあり、
そのすべてに設置できるわけではありませんが、
コスト面などがクリアしていけば、用水を水としてだけではなく、
自然エネルギーとしても活用することができるのです。
権兵衛や当時の工事に携わった先人たちが、
血と汗の結晶として後世に残してくれた用水が、
近未来の新たなエネルギー政策を刺激する事業に発展するかも知れません。
それもすべて、白山からの水の恵みがあってこそ。
ふるさとの自然と先人の知恵・・・ずっと大切にしたいですね。
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【リポーター】平見夕紀