2月14日(日)7:30~8:00
シリーズ・ふるさとの響き③
『能登しごとうた』
◆◆◆ふるさとの遺伝子を探る30分◆◆◆
シリーズ3回目は能登に伝わる伝統の祝い歌と
職人さんが息抜きに広めたという言葉あそびです。
◎段駄羅(だんだら)を知ってますか?
能登半島・輪島といえば全国に誇る「輪島塗」があります。
「輪島塗」を全国に知らしめたのは「塗師屋」と呼ばれるプロデューサー。
全国を旅して顧客へ直接販売するというスタイルを
確立させたことから広まりました。
この塗師屋は全国を駆け巡る中で、最新の文化や情報、
そして教養を身につけ、「文人・墨客」の扱いを受けたといいます。
一方の塗師屋本人は、顧客の期待に応えるため、
文化教養の研さんに努めました。その一つが「段駄羅」です。
輪島市の街中を歩くと、そこかしこで「段駄羅」を目にすることができます。
ちょっと一例を紹介すると…
「能登便に間に合いました マニアいました秋葉原」
「模擬店は鯛焼きにして ダイヤ気にして急ぐ旅」
もうお気づきだと思いますが、「間に合いました」と「マニアいました」、
「鯛焼きにして」と「ダイヤ気にして」…うまく掛けことばになってますね。
輪島段駄羅同好会の沖崎さんは、
『もともとは「かな」だけで書いて、その意味を解き明かすのを得意がった』と
話してくれました。つまり頭の回転の早さなどを競ったわけですね。
今でも輪島市では同好会を発足させて、定期的に交流しています。
「段駄羅」はルールがあって、自由に創作してよい「自由詠」、
上の句が決まっている「しりとり連句」、
テーマから連想される言葉を中の句に入れる「兼題」があります。
上の句の「五・七文字」と下の句の「七・五文字」の連想ゲーム。
みなさんも輪島市の「段駄羅」をその目で見て、
実際に創作してみてはいかがでしょうか?
◎ハレの祝い歌
輪島市の「成人式」で披露される伝統の祝い歌「輪島まだら」。
その起源は江戸時代中期から明治時代に活躍した
北前船の船員たちの仕事歌とも言われています。
輪島の港は北前船の寄港地としても格好の避難港にあたり、
日本各地の情報や文化が伝えられています。
「まだら」もそのひとつで乗組員たちが滞在している間に、
地元に伝わったと考えられています。
現在「まだら」はこの地の「ハレ」の時に欠かせない歌として
受け継がれています。
30代から80代の38人が所属する「輪島まだら保存会」は
この「ハレ」の日の文化を頑なに守っています。
幹事長の垣内さんは、
『結婚式はもちろん、職人が一人前になるときの年季明け式、
家の新築や建前、造船などおめでたいときに唄う』と話してくれました。
「まだら」は全国各地に伝わる歌で、石川県内でも輪島市のほか、
七尾市、能登町、穴水町、かほく市など各地に受け継がれています。
輪島市の河井地区では数えの42歳、鳳至地区は41歳の男性で
「御当組」が結成され、祭礼等の神事に奉仕する珍しい組織があります。
彼らは毎年、冬の時期になると「輪島まだら」を練習します。
わずか19文字の歌詞をおよそ5分にわたって歌い上げる「輪島まだら」は、
こうした伝統によって守られてきたのです。
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【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀