8月28日(日)7:30~8:00
ふるさと探訪シリーズ・わが街こころの風景①
『風に吹かれて ~内灘町~』
通★★★ふるさとの遺伝子を探る30分★★★
平成21年から県内19市町のこころの風景を紹介してきたシリーズも最終章。
まずは風の街・内灘町からスタートです。
◎内灘砂丘をめぐる昔といま
海水浴客で賑わう内灘海岸。今からさかのぼること90年、
この海岸には「北陸の宝塚」と呼ばれた一大レジャーランド、
粟ヶ崎遊園がありました。
着物から洋服に着替えたモダンボーイ・モダンガールたちは
こぞってこの門をくぐっていきました。
しかし軍靴の足音が聞こえてくると、この夢の楽園は消滅。
戦争が終わり、平和を取り戻したと安心していた矢先、
この海岸では日本で初めての基地反対運動が繰り広げられました。
「内灘闘争」です。この海岸は人々の喜びと悲しみを傍観してきたのです。
現在、町内のボランティア団体などがクリーン・ビーチ作戦を展開。
さらにかつての砂丘を取り戻すため、
竹垣を設置して風による砂の流出を防いだところ、
1.5メートルの竹垣が隠れるほど砂がたまり、
かつてのこんもりとした姿がよみがえってきました。
野村さんは「美しい風紋が帰ってきた」ときょうもシャッターを切ります。
◎干拓地を活かして
海岸線とともに内灘町の特徴の一つが河北潟干拓地。
かつてはここでも砂の風紋を見ることができたそうです。
内灘町の西尾雄次教育長は、
「蛇持」という独特の現象で江戸時代には盛んに見られ、
明治20年ごろまで記録が残っていると教えてくれました。
明治の文豪・泉鏡花の「湖のほとり」にも登場します。
その河北潟では昭和33年から干拓事業が進められ、
農業振興制作が進展しました。
現在は県内最大の酪農地帯に成長しています。
全国唯一の酪農団地で育まれる乳製品や、
内灘町ならではの風と土壌により作られる野菜たちは
地元の子どもたちにも提供され、
地産地消のモデルとして、これからも注目を集めそうです。
いしかわ大百科
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【リポーター】平見夕紀