3月4日(日)7:30~8:00
シリーズ・歴史を刻んだ一族③
『所口の賢人 ~豪商・塩屋家~』
◆◆◆ふるさとの歴史ロマンを探る30分◆◆◆
藩政時代から明治時代にかけて日本海を駆け巡った北前船。
県内には豪商と呼ばれた船主たちが数多くいましたが、
今回はその1人、七尾(所口)の塩屋一族です。
◎加賀藩の御用商人
江戸時代のはじめに七尾に移り住んだ塩屋藤左衛門を祖とする塩屋一族は
煎海鼠(いりこ・ナマコを乾燥させたもの)を一手に扱う、
加賀藩の御用商人として、七尾の商人の中心的存在でした。
当時ナマコは、フカヒレ、アワビと並ぶ「長崎俵物」と呼ばれ、
長崎を通じて中国に輸出されるなど、高級品として扱われていました。
現在も秋から冬にかけて、七尾湾ではナマコ漁が盛んに行われます。
大根音松商店を訪ねると、店長の大根小夜子さんが、
コノワタ(ナマコの腸)のドロ除けや
クチコ(ナマコの卵巣)を干す作業を見せてくれました。
七尾湾は遠浅で波が穏やかなのに加え、
数多くの川から豊富なミネラルが運ばれてくるので、
良質のナマコが捕れると言われています。
大根さんも「親から受け継いだ大切な能登の味を継承したい」と
ふるさとの誇りを感じているようでした。
◎謎の多い塩屋一族
さて、話を塩屋一族に戻しますが、実は私もこの企画が決まるまで
塩屋一族なるものの存在を知りませんでした。
予想通り資料も乏しく、その重たい扉を開いてくれたのがあるHPでした。
一族の本家筋の菩提寺にあたる常福寺の候補衆徒・畠山浄さんが、
長年にわたって調査し、塩屋一族についてまとめたものです。
(下記のリンクを参照)
もちろん、今回は畠山さんにもご登場いただき、
塩屋一族の人となりをうかがえるエピソードをお話していただきました。
これが意外と奥が深く、なかなか興味深い人が続々と出てくるんです。
当時は俳諧をたしなむのが商人の流行だったようで、
塩屋一族も多くの俳人を輩出しています。
特に塩屋清五郎家の初代・岩城司鱸(いわきしろ)は、
「俳諧百一集」に松尾芭蕉や千代女などと並んで紹介されています。
おそらく江戸時代の七尾の商人で唯一、肖像が残っているのが
この司鱸ではないかと、畠山さんが教えてくれました。
また七尾市資料編さん室の和田学さんには、
尼が谷(あまんたん)と呼ばれる森に建てられた
一族の墓に案内してもらいました。
普通、お墓は一家にひとつと思いますが、ここには、
一人々々の墓がズラリと並んでいます。
これには和田さんも初めてみたときは相当驚いたそうです。
墓には京都などで交流のあった著名人が言葉を残していて、
それだけの交友関係があったことをうかがわせます。
明治以降、七尾の歴史から消えてしまった謎の一族・塩屋家。
その人物像に迫ります。
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【リポーター】平見夕紀